JAL名人会 ~守破離の教え~

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先日、INETA Japan 総会 に出席すべく、飛行機で移動した。
機内では音声のみの寄席が放送されている。
# ANA では「全日空寄席」という番組だが、行きは JAL だったので、「JAL名人会」という番組だ。
桂米丸師匠の出演だった。
新作落語ばかりやることで有名な方で、長く落語芸術協会の会長をやっていた方だ。
私は、20年前くらいに落語が好きでよく聴いていた。
その頃は、三遊亭圓生や柳家小三治、桂米朝桂枝雀なんかが好きだった。
米丸師匠は余り好きな噺家ではなかった。
それを久し振りに聴いた。
これが、思いのほか素晴らしかった。
米丸師匠も80歳を過ぎたそうで、昔の飄々とした語り口は残しつつも、深みを増している。
改めて芸の道の道程の長さを感じた次第。
このときの演題は「入門の頃」。入門したての若い頃、師匠についての修行時代の思い出話だ。
彼の師匠の五代目 古今亭今輔という方は、大変な苦労をして中年から売れた噺家だそうだ。
その今輔師匠に随分と可愛がられ、噺を教わって言われたことは、
「とにかく俺がやっているようにやれ」
ということだったそうだ。
若い頃の米丸師匠は、今輔師匠に言われた通り、声色からしぐさからそっくり師匠のまんまにやるようにしたそうだ。
暫くして、段々笑いが取れるようになってきた。
しかし周りの先輩芸人には余りよく思われなかったようだ。
或る日、いつものように今輔師匠そっくりにやって高座を降りると、他の師匠に呼ばれてこう言われたそうだ。
「最近、お客さんが笑うようになってきたようだが、あの芸はお前の師匠のコピーだ。自分の芸じゃない。」
師匠に言われたとおりにやってきたのに、こういうことを言われ、若き日の米丸師匠は、やつれる程悩んだそうだ。
その様子を心配した今輔師匠に呼ばれて、何度も問い詰められたあげく、「実はこうこうこういう訳で」と告白すると、今輔師匠は、とても困った顔をして黙りこんだ。
そして、暫くしてこう言った。
「あの師匠は良い人だが、お前の成長には何の責任もないんだ。俺にはお前を立派に育てる責任がある」
「噺家を始めて一年や二年で自分の芸でやっていけるもんじゃない。
先ずは俺の十八番の芸をそっくりお前に教えてやるから、それをそっくり真似できるように練習するんだ。
それでうまくやれるようになったら、そこから自分の芸というものを生み出していくんだが、それは二十年先の話なんだ」
そこで米丸師匠が、芸の道でも書道でも武道でも初めは師匠の真似なんだ、だから、良い師匠に出会うことがとても大切だ、自分は幸せだ、ということに気付いたという話。
若き米丸師匠の実際の体験とそのときの熱い思いが語られていて、じーんときた。