秋葉原通り魔事件 ~ 人生はリセットできない

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今日、以下のコラムを読んだ。

秋葉原通り魔事件をゲームの影響によるものではないかと推論し、ゲームの規制を訴えるものだ。

良くある「最近の若者の犯罪はゲームの所為」という主張だ。私はゲームを余りしない方だが、こうした「取り敢えずゲームの所為」という話は、大概論拠と呼べるものがなく、辟易している。

そして、このコラムは、コメント欄でも散々言及されていることだが、こうした「ゲーム脳」関連の論の中でも格別にお粗末だ。

至るところで無茶な論を展開しているが、特に酷い部分を引用してみよう。

—————- コラムからの引用 ここから —————-

トラックで人混みに突っ込み、ためらいなく人を刺し殺すのは「ゲーム感覚」としか言いようがない。ゲームの中では何の責任もない。殺しても何をしてもリセットすれば、元に戻る。

バーチャル空間であまりに長時間、長期間、それを繰り返すと、仮想と現実の区別がなくなり、現実空間でも同じことをしてしまうのではないだろうか。

加藤容疑者を見ていると、驚くほど無責任な振る舞いには、そのことが原因の一つであるとしか思えない。

—————- コラムからの引用 ここまで —————-

つまり、

  1. 加藤容疑者の行動はゲーム感覚だと思う。
  2. シューティングゲームを長くしていると現実で同じことをするだろう。
  3. 加藤容疑者の行動は、シューティングゲームを長くしている所為に違いない。

とし、ここからそのようなゲームを規制すべきだ、と論じている。

滅茶苦茶だ。

先ず、どの主張にも凡そ根拠と呼べるものがない。主観による決め付けのみだ (更にその主観には偏見が垣間見える)。

※ ちなみに、

  • 加藤容疑者が平均的な同世代の人と比較して殊更にシューティングゲームを長くしていたと言える根拠は、特に発表されていない。
  • シューティングゲームの普及とシューティングゲームをする世代の凶悪犯罪率の増加の因果関係を示すデータがない。シューティングゲームが普及するにつれ、シューティングゲームをする世代による凶悪犯罪が減少しているというデータなら存在する。

次に、推論の方法が出鱈目。こんなやり方で何かを論じていいんだったら、どのような暴論だって主張できる。

  1. 加藤容疑者は足で移動していた。ゴキブリも足で移動する。よって、加藤容疑者はゴキブリのような感覚であのようなことをしたとしか思えない。
  2. 足での移動を長くやっていると、正常な人間のように手を使うことを忘れてしまうに違いない。ゴキブリも手を使わない。長年の足での移動により、ゴキブリのようになり、人間らしさを失ってしまうだろう。
  3. 加藤容疑者の行動を見ていると、ゴキブリのように人間らしさが感じられない。これは足での移動のしすぎが原因の一つであるとしか思えない。
  4. 足での移動が、重大犯罪の原因の一つだと考えられる。今後の子供には足での移動を禁じるべきだ。

これは余りにも酷い滅茶苦茶な推論の例だ。根拠も論理も酷いものだ。だが、コラムのそれとそれほど論理展開は変わらない。

根拠が滅茶苦茶。その後の推論も滅茶苦茶。

※ これらには、

  1. A は X だ。
  2. B も X だ。
  3. だから、A は B だ。

という誤った推論が多用されているのだ。

誤った推論の例.

  1. キリンは空を飛ばない。
  2. アワビも空を飛ばない。
  3. だから、キリンはアワビだ。

ちなみに、コラムの方は、更に各命題も根拠に乏しい主観による決め付けなので、

  1. アワビは美味い。
  2. キリンは食べたことがないがあの色からして美味いに違いない。
  3. だから、キリンはアワビだ。

位の勢いだ。

何でも言えば良いというものではない。
オープンな場で、こんな方法で何かを論じるのは、社会にとって有害だと思う。

私は、このような凶悪な犯罪がこの世界から無くなってくれることを心から望む。そして、今後の凶悪事件の発生を少しでも防ぐ為には、正しい原因究明が必要だと考える。

「良く分からないものに責任転嫁することで思考停止」することは、正しい原因究明をしようとするのと正反対の態度だ。何の解決にもならないどころか、寧ろ問題を解決から遠ざける。

このコラムは、誤った方法で印象操作をし、凶悪事件の防止の方向とは違った方向へ社会を向かわせる危険性さえあるのではないかと思う。話題としている犯罪の重大さを考えると、怒りすら覚える。

著者には猛省を促したいところだ。