新しいジャグリング ボール (もしくはアジャツールとしてのジャグリング)

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■ 私のジャグリングの近況について
新しいジャグリングのボールを購入。
最近は、ボール四つに挑戦している。
■ アジャツールとしてのジャグリングについて
ジャグリングはアジャイルなツール (=アジャツール) だ。
一年半ジャグリングをやってみて、少しその意味が分かってきたような気がする。
最近気が付いたのだが、ジャグリングにおいて「新しい技をマスターする」ということは、どうやら「新しい考え方を受け入れる」ということらしい。
つまり、新しい技における脳の使い方、ということだが、それを、頭で考えて納得するのではなく、「体で実践 → フィードバック → 体で実践 → フィードバック → ……」と繰り返すことで身に着けていく。どうやらそれがジャグリングで「新しい技をマスターする」過程であるらしいのだ。
技ができるようになってはじめて、「なるほど、こういう技であったのか」と腑に落ちる感がある。理屈を頭で理解して納得するのでなく、体ができるようになったときに頭がそれを理解している、という感じだ。
技ができないうちに、なんとなく分かった気になることもある。だが、それは、分かっているつもりになっているだけで、本当には分かっていないのだ。技ができたときに、明確にそれに気付く。

「知はこれ行の始めにして、行はこれ知の成るなり」

という言葉がある (陽明学の始祖、王陽明の言葉)。「知行合一」というそうだが、「行わなければ知っているとはいえない。知っていても行わないのはまだ知らないのと同じである」という考えであるらしい。
この意味において、ジャグリングは極めてアジャイルだ。そう思う。
■ 私がアジャツールを使いこなせない点について
ところで私は、どうしても “Mill’s Mess” と “Box” という技ができるようにならない。この二つの技は、何というか、ちょっと特殊な動きをする。ジャグリングのビデオを観ると、割と簡単にできそうに思えるのに、練習を続けても、ちっとも似た動きにならない。
私は年齢の所為か、頭が或る程度固くなっているようで、この二つの技をまだ受け入れることができないようなのだ。この二つの技が中々できない、というのは、多分私はまだ十分にアジャイルではないのだ。そういう気がする。
そして、この二つの技ができるようになったとき、私はよりアジャイルになれる。何故かそんな気がするのだ。