「やりたくないけどやってる」なんてものはない

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■ 「やりたくないけどやってる」なんてものはない

タイトルは、今日 chikura さん の日記を読んでいたら書いてあった言葉。
インスパイア (謎) されたので、私も書いてみる。
chikura さん の言葉を、勝手に chikura さん の日記から引用。

「今、貴方がしているそれは、
 自分がやりたいと思ってやっている事なんだ。
 世の中に、
 “やりたくないけどやってる”
 なんてものは一つもないんだ。」

同意。
私が反抗期の頃に、周りの大人に抱いた思いだ。
その通り。「やりたくないけどやる」なんて有り得ない。
「やりたくないけどやる」のが、良いか悪いかということでなく、有り得ない。
※ これに関して、以前「自由」について書いた文章がある。

■ 「やりたいけどやらない」もない

同様に、「やりたいけどやらない」も有り得ない。

  • 「本当は買いたいんだけど、高くて手が出ない」
    →「本当は」買いたくないんです (それがどんなに高価であるかによらない)。
  • 「本当は行きたいけど、その日は都合で行けない」
    →「本当は」行きたくないんです (その都合がどんな重大な都合であるかは関係ない)。
  • 「こんな会社できれば辞めたいんだけど…」
    → 「本当は」辞めたくないんです。

買いたいけど買わない方を選ぶなんて有り得ないし、行きたいのに行かない方を選ぶなんて有り得ないし、辞めたい会社を辞めないなんて有り得ない。
※ 注:「大人の会話」で、上記のような表現を選ぶのは当然のことで、それは全然別の問題だ。

■ 「仕方なく嫌々やっているんだが」

或る人の言:

「いや本当は別のことがやりたいんだが、そちらが不可能なので、仕方なく不本意ながらこっちをやっているんだが」

繰り返しになるが、「やりたくないけどやってる」なんてものはない。
先ず、「そちらが不可能なので」というのは、それは、本当に不可能なのか。

  • 「できないと思いこんで事にあたるのは、みずからできないようにする手段である」 ― ワナメーカー
  • 「自分にできないと考えている間は、本当はそれをやりたくないと心に決めているのだ。だからそれは実行されはしない」─ スピノザ
  • 「成功者のひとりごと『そうしたい。必ずできる』敗北者のひとりごと『やらな
    ければならない。でも、できない』」─ デニス・ウェイトリー
  • 「あなたの進歩を妨げているのは、あなたが何であるかではなく、あなたが自分を何だと思っているかである」─ デニス・ウェイトリー
  • 「誰もが自分自身の視野の限界を世界の限界だと思い込んでいる」─ アーサー・ショーペンハウエル


不可能でないなら、それをやらないのは、やりたくないからだ。
やらない方を自由意志で選んでいる。
※ もちろん、やらないのが良いか悪いかは全然別の問題だ。
もし仮にそれが「本当に不可能」だとすると、それは「有りもしない選択肢」だ。
それは、「本当にやりたいこと」なんかでは有り得ない。

  • 「考えても仕方がないことは考えない。考えなくてはならないことは徹底的に考える」─ 石塚巌
  • 「どうにもならなきゃ、放っておく。そいつが一番だ」─ 井沢元彦
  • 「気に入らないものは、棄てておくか、あるいは改善するかである」─ ゲーテ
  • 「持っていないもののことを気にしていると、持っているものを無駄にしてしまいます」─ ケン・ケイエス・ジュニア
  • 「人は、人生が公平ではないことを悟れるくらいに成長しなくてはならない。そしてただ、自分の置かれた状況のなかで最善をつくすべきだ」─ スティーブン・ホーキング
  • 「自分の限界を考えたことはありませんし、限界の存在は悲しむべきものではありません」─ ヘレン・ケラー
  • 「我々は、他の人たちと同じようになろうとして、自分自身の四分の三を喪失してしまう」─ ショーペンハウアー


これは、やりたい、やりたくない、という言葉の定義の問題ではない。
それは全く違う。
「本当は別のことがやりたいんだが、そちらが不可能なので、仕方なく不本意ながらこっちをやっている」
という言い方には、「覚悟」がない。
そこが決定的に駄目だ。

■ 全ての人はそれまでの人生で「本当にやりたいこと」だけをやってきている

私も、「本当にやりたいこと」だけをやってきた。
そしてこれからもそうだ。
そういう「覚悟」をもっていたい、と思う。

  • 「われことにおいて後悔せず」─ 宮本武蔵